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ベルリンの壁崩壊~壁はどこにあったのか~

2019年11月20日

こんにちは。
個別教育リバースです。

1989年11月9日に「ベルリンの壁」が崩壊し、今年で30年を迎えます。以前にも書いたように来年の高校入試の社会、大学入試の世界史でこの出来事が出題される可能性は高いです。

それではみなさんは「ベルリンの壁」どこにあったのかご存じでしょうか。高校世界史の教科書には以下の記述があります。
「東ドイツでは、[中略]11月にはベルリンの壁が開放され、東西ドイツ間の自由な行き来が認められた。」(『詳説世界史B』、山川出版社、P398)
この記述通りに解釈すると、ベルリンの壁が開放(原因)⇒ 東西ドイツ間の自由な行き来が認められた。(結果)となります。従いまして、多くの方がベルリンの壁は東西ドイツの国境にあった、と思ってしまうのです。

しかし、中学校の歴史教科書には写真・地図つきでもう少し詳しい解説が載っています。
「④ベルリンに造られる壁 西ベルリンは、東ドイツに囲まれた西側陣営の飛び地でした。1961年、東ドイツは西ベルリンを取り囲むように壁を築き、市民が自由に行き来できないようにしました。」(『新しい社会 歴史』、東京書籍、P246)
ここでのポイントは、「飛び地」という表現です。(帝国書院の教科書も確認しましたが、「飛び地」という表現はありませんでした。)つまり、東ドイツの首都ベルリンの西側半分が西ドイツ領西ベルリンという「飛び地」だったのです。ベルリンの壁はこの西ベルリンを取り囲むように造られたものです。これは、北朝鮮の首都平壌(ピョンヤン)の西半分に韓国領西平壌(ピョンヤン)があるようなものです。
なぜこのようなことになったのでしょうか?米英仏ソの4ヶ国でドイツを分割統治しようとなった時に、ソ連管理地域にある旧首都ベルリンだけは別途4ヶ国で管理しましょう、ということになったからなのです。

この「飛び地」というキーワードからいろいろな学びが得られそうです。たとえば、スぺインにある英国領ジブラルタルやポーランドとリトアニアに挟まれたロシア領のカリーニングラード。また、日本では奈良県と三重県に囲まれてる和歌山県北山村。これらもすべて「飛び地」です。是非、各自で歴史的経緯などを調べてみてください。興味をもって調べることは、2021年以降の入試でもきっと役に立つはずです。

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